=-= 真実の瞬間 =-=



砌えみこ










 「シャア、私と来てくれれば・・・くっ」
 ハマーン・カーンはキュベレイのコックピットに座り、つい先程までシャアと対峙していた、破棄された戦艦を睨みながら、そう呟いていた。

 誘爆を続ける戦艦からシャア・アズナブルの乗っていた百式が脱出する姿は、まだ確認できない・・・


 宇宙世紀0088年2月22日、エゥーゴ、アクシズ、そしてティターンズによる三つ巴の艦隊戦は、ティターンズの敗北、エゥーゴはその戦力の大半を消失するという形で決着をみようとしていた。

 ハマーンにとっては、そう遠くない昔、いや今となっては100年も前のような気がする、唯一頼りにしていた男との決別の戦いでもあった。

 (仕方がないことだ・・・)
 ミネバ・ザビの乗る戦艦グワンバンの位置を確認して、その方向へと機体を向ける。バーニアを噴射すると、あとにはキュベレイの発する一条の光が残った。


 (シャア・・・)
 「はっ?!」
 ハマーンが、何かに驚く。
 顎が濡れる感触に気づいたからだ。そしてその原因が、自分の眼から零れ落ちた涙が頬を伝い、顎の先にまで達しているせいだと、気づいてしまったからだった。

 (なぜ、私は泣いている?)

 涙など、もう何年も流したことはない。父が亡くなった時でさえ、涙を見せはしなかった。アクシズの摂政になってからというものの、常に毅然とした自分であり、それを無理して演じているつもりなど毛頭ない。
 なのに、なぜ・・・

 「私は悲しんでいるというのか」
 口に出せば、それが真実となって自分の心にのしかかる。

 (シャアを失ったことを・・・)


 あの日、シャアが地球圏の偵察に出るという名目で、ハマーンをアクシズに残したまま旅立った日以来、忘れていたはずの記憶が次々と甦ってくる。

 ・・・・・・ミネバ様を囲んで過ごした暖かくゆったりとした時間、人目につかないようアクシズの奥まった公園を歩いた時間、そして初めて心が触れあったと感じたあの瞬間、シャアの腕に抱かれて迎えた朝の至福のとき、二人きりでベッドの上で摂った朝食、シャアはスクランブルエッグを食べ、自分は固ゆで卵が好きだった・・・

 「何を、考えているのか・・・私は!」
 思い出を消し去るかのように、ハマーンは頭を振る。だが、一度浮かんだものは容易には消えてゆかない。
 万華鏡のようにくるくると変わりながら色々な記憶が、昔、愚かにも幸せだと思っていた頃の光景が目前を流れて、心が痛むという言葉の意味を初めて実感せずにはいられなかった。

 不意に、きらりと光る何かが見えた気がした。
 「あれは、シャアにもらった・・・」
  (イヤリング・・・・・・)

 15歳のバースディ、プレゼントにシャアから貰った”ブルートパーズとゴールドのイヤリング” 赤い髪に映えると言いながら、着けてくれた・・・
 姉から譲り受けたどんな高価な宝石よりも大切にしていたのに、シャアが自分と袂を分かったあの日、捨てようとした。だが、捨てられずにジュエリーボックスの底に収め、忘れたつもりでいたのだ。

 「こんな、こと、まで・・・うっ」
 小さな記憶のひとつひとつがハマーンを苦しめる。いつの間にか血が滲むほど、下唇を噛みしめていた。

 (シャアがアクシズを出た日、私は泣かなかった。ただ怒っていた。憎んでいた・・・・・・あの時、本当は泣くべきだったのか)


 「これで終わりにするか、続けるか? シャア!」
 「そんな決定権がお前にあるのか?」
 シャアと交わした最後の会話。


 (最後まで・・・)
 シャアはハマーンの元に戻ることを拒んだ。

 (シャアを愛していたからこそ、私は・・・)
 今、一番気づきたくなかった事に、気づいてしまったのだ。


 だが、いつまでもそんな思いに捕らわれている訳にはいかない。

 「シャア! 死してまで私の心に入ってくるな!!」
 キュベレイの操縦桿を握る手に力を込めると、眼を見開いて叫んだ。もう涙を流してはいない。

 長い時間が過ぎたように思えたが、ディスプレイに表示される時間はわずか一分足らずだ。もう一度グワンバンのいる宙域を確認して、さらに出力を増す。

 (今度こそ、本当に、忘れてみせる・・・本当に!)

 ハマーン・カーンとして生きる以外に何ができるだろう。
 前面のモニターを、そこに写る深淵の宇宙を見つめるハマーンの瞳は、いつものように強い光を放っている。

 戦場の喧噪を後に、キュベレイの姿は宇宙の彼方に消えていった。










END










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