=-= Intermission-3- =-=



砌えみこ










 宇宙世紀0080年1月1日。一年戦争、・・・・・・・・・いや、彼にとっての『ジオン独立戦争』は、売国奴の手によって終戦を迎えた。



 彼と彼の朋友の多くが、月に身をやつし、『時』の満ちるのをただひたすら待っていた・・・・・・・・・。










 ・・・・・・・・・あふれるモノ・モノ・モノ。

 ついこの間まで、地球圏は確かに戦時下にあったというのに・・・。アナベル・ガトーは重たい足取りで、フォン・ブラウン市地下4階のメインストリートを歩いていた。

 フォン・ブラウンは、地表から月の中心に向けて全部で七つのフロアに分かれている。宇宙(上)に近い階層ほど、空気や水や土地に高い税金がかけられている。・・・そう、この街では、人間が生きていくために必要不可欠な空気ですら、無料で手に入れることはできない。

 だが、そんな厳しい生活環境とは不釣合いなほど、このショッピング・ブロックには、品物が溢れていた。食べ物、飲み物、衣服に靴、本におもちゃにアクセサリー、諸々の娯楽製品。・・・その量と種類の豊富さに、目眩すら起こしそうな。お金さえあれば、何でも手に入った。欲しくないものですら、買うことができる。

 ガトーが生まれた翌年に、サイド3には地球連邦政府による経済封鎖が行なわれていた。つまり物心をついた時には『贅沢は敵』だったわけである。そんなガトーにとって、この街もここに住む人々にも違和感を覚えずにはいられなかった。身の置き所がないように感じつつ、それでもここにいるしかない。・・・自分こそが、異邦人、か。





 『ねぇ 悪く思わないでくれ もし僕の歌に 世界の終わりを感じでも そうなんだ・・・』





 左手ひとつで胸に抱えた茶色い袋から、細長いバケットパンの端っこがのぞいている。袋の中には、ブロッコリーとニンジン(冷凍)に、ベーコンとチーズとレモンと真空パックのモカマタリが入っているはずだが、隠れて見えない。ガトーは、ようやく馴染んできた『日常の』買い物を済ませて、借り物の自宅に帰る途中だった。戦争が終わって3ヶ月、ジオン派(と称する者)の援助により、月のあちこちに同胞を潜伏させ、戦場以外の生活に一歩を踏み出したばかり。





 『・・・ねぇ また会って 一緒にコーヒーを飲もう コーヒーがなけりゃ困るだろうな 自分が取り戻せない・・・』





 小さなミュージックショップの店頭で、最近ヒットチャートを上昇中のある歌のデモクリップが流されていた。・・・甘ったるいメロディにありがちな歌詞のついたラブソング。このところ、テレビジョンでもくり返し放送されている。ふだん歌番組を見ない(聞かない)ガトーの耳が、何となく覚えてしまう程、流行っているようなのだが。

 その歌は、元ジオン軍の伍長と元連邦軍の二等兵によるデュオ、という触れ込みだった。・・・戦争が終った時代、平和になった時代、もう戦わなくてもいい時代を象徴させるように、宣伝的な意味からも流されたものだったが、そんな政府の意図を知らずに、・・・たぶん、知っていても知らないフリをする方が都合がいいのだろう、ルナリアンの間で広まっていた。・・・・・・・・・いや、歌そのものに対して、そんなことは本当にどうでもよかったのかもしれない。





 『・・・あしたは 皆 寝入るだろう だってすべてが ものいうから・・・』





 ガトーの足が速くなり、軽く走るようにして自宅に向かう。明日は早朝から、アナハイム・エレクトロニクス社のお偉いさんと会う予定だった。潜伏中といっても、遊んで暮らすわけにはいかない。兵たちそれぞれに仕事を与えることも必要である。・・・・・・・・・それはたかがジオン軍の元大尉であるガトーの力だけではどうしようもないことだ。交渉事は得意ではないが、ここでの生活のために、それにも慣れなければならない。

 土台から何から全て人工のものであるコロニーと違って、月は元々の土や岩の間をくりぬいて、地下都市を形成している。目に見える一番大きな違いは、ここの夜空に星はない、ということだった。空はただのフタに過ぎない。それでも決まった時間に夜はやってくる。・・・何かに狩り立てられるようにガトーは走った。





 『・・・だけど心配ない 僕には見える 戦後 初めて飛んできた鳥が 鉄条網にとまってる 平和のシンボル・・・』





 小さな2LDK。マロン色した壁の集合住宅3階にある東南の一角、それがガトーの仮の城だ。玄関に続くキッチンのカウンターの上に紙袋を置いて、リビングのテレビジョンの電源を入れる。・・・天気予報、ドラマ、ドラマ、株価の文字放送に、やっと時事ニュース。リモコンのチャンネルを合わせると、買ってきたばかりのコーヒーをサイフォンにセットする。サラダ用のブロッコリーとニンジンを残して、他の食材を冷蔵庫に放り込んだ。小鍋に水を張って電気コンロにかける。・・・部屋に広がるモカマタリの香り。コポコポコポ。最初の一杯はいつものようにブラックで飲みながら、鍋のお湯が沸くのを待って、塩少々とブロッコリーとニンジンを入れる。



 「・・・次は『この人に聞きたい』です。」

 メインキャスターが、ニュースを読んでいた時の渋面とはうってかわって笑みを浮かべながら、次のコーナーに移る段取りを踏む。茹で上がったブロッコリーとニンジンをザルにあけるガトーの耳に、またあの歌が聞こえてきた。





ねぇ 悪く思わないでくれ
もし僕の歌に 世界の終わりを感じでも そうなんだ

ねぇ また会って 一緒にコーヒーを飲もう
コーヒーがなけりゃ困るだろうな 自分が取り戻せない

あしたは 皆 寝入るだろう
だってすべてが ものういから

だけど心配ない 僕には見える
戦後 初めて飛んできた鳥が 鉄条網にとまってる 平和のシンボル



もう 私はあなたのもの
お互いを知り尽くしてる もう あなたなしでは生きて行けない

ねぇ また会おうよ コーヒーを一緒に飲もう
コーヒーがないと元気が出ない

あした 君と寝るかな
私は眠ってしまうかも 待ってるよ

ねぇ 心配しないで 僕には見える
戦後 初めての鳥が すぐ2羽になるわ 誰のせい? 悪く思わないで






 画面の中に、椅子に座ってギターをつまびく若い男と、スタンドマイクの前に立つ少女といってもいいような年齢の女が写っている。クルーカットが少し伸びた茶色の髪に、中肉中背で、白いシャツにジーンズを着た、ごく普通の男と、快活そうなブロンドのショートヘアに、きらきらした瞳と艶やかな唇の、少しふっくらとしたかわいい女。

 歌が終わると、中年のキャスターの隣に座り、何やらインタビューを受け始める。



 「元々、音楽が好きだったんです。・・・戦争が終わって、何をしたらいいかわからなくて、路上で弾き語りをしてたら・・・」

 「そう、私が彼の歌を気に入って、一緒に歌おうってことになって・・・」

 初々しいような、たどたどしいような、二人は言葉を選びながら答えている。だが、二人の笑顔がもっとも雄弁に語っているように思えた。・・・戦争が終わった、その喜びと嬉しさを。



 見るともなしに見ていたガトーの目が、カメラアングルがバストショットに切り替わった瞬間、男の胸にかかっていたアクセサリーらしきものを捕らえた。・・・ドックタグ。・・・・・・・・・もちろん、ジオン軍仕様のドックタグである。見間違いようもない。

 瞬間的な怒りと共に、ガトーは傍らのリモコンを手にとると、OFFスイッチを押す。ブチッという軽い音ともに、テレビジョンから光と音が消えた。



 (ザーザーザー・・・)

 ザルの中のブロッコリーとニンジンを流水で冷やす。・・・必要以上に冷やしながら、ガトーはさっきの怒りの正体を考える。だがわからない。・・・・・・・・・だから、余計に腹立たしい。



 街の人々。・・・腕を組んで楽しげに歩くカップル。はしゃぐ親子連れ。酒を酌み交わす男どもに、それに群がる女たち。どの顔も、この『一時的な』平和を享受しているように見える。



 まだ終わってないのは、自分だけで、・・・・・・・・・良かれと思った部下たちの行く末すら、強制したものなのだろうか。

 もう一度、時が来ると信じてるのは、誤っているのか。

 失った命を忘れて、このまま生きろと?



 「・・・そんなはずがっ!!!」

 ガトーは水道の栓をぎゅっと締めた。





 アナベル・ガトーにとって、食事は楽しむもの、ではなかった。小さい頃はそうだったかもしれないが、士官学校時代からずっと、軍人として必要な筋力と体力を維持するために必要不可欠な栄養を得るための行為が、食事だったのだ。自分で食事を用意するにあたっても、栄養バランスには気をつけている。無重空間では身体に吸収しにくいカルシウムや、パイロットの命である視力を維持するためのビタミンA。・・・今日のメニューは、レモンドレッシングのサラダとミートフォンデュ。最後に口直しのカフェオレ。

 テレビジョンを切ったままの静かなリビングルームでガトーは一人食事を終えた。寄宿舎時代も士官学校の時も軍に入ってからも、一人で食事、というのはほとんどなかった。休暇の時か、ミッション中で携帯食を胃に流しこんでいる時か、・・・そのぐらいである。一人が寂しいなどという感情とは無縁だが、・・・もしもあったとしてもこの時のガトーはそれ以外の感情に覆われていたのだろうが、ただ慣れないのだった。

 ・・・ただっ広い食堂で、がやがやとした喧騒に包まれながら、友と一緒に食した、あの日々。



 「・・・ふー。」

 暖かいカフェオレが胃に優しい。ガトーは元は紅茶派だった、というか、これまで主に紅茶しか供されてこなかったのだが、宇宙攻撃軍に配属されてからは、コーヒー党に変わっていた。上官のドズル・ザビ中将が大のコーヒー好きだったからである。

 ふつうの人がその面前に立てば、一発でビビりそうな容姿とは裏腹に、気さくで一兵卒にまで人気が高かった。コーヒーを飲みにわざわざ士官食堂へ顔を出すことも多かった。たいていは親衛隊のメンバーが回りを取り囲んでいたが、時に戦果を上げた部下の側に座り、その肩を叩き、大声で励ました。・・・はじめて、自分の肩を掴まれた時は、ひどく緊張したな。



 (・・・不遜な言い方になるかもしれんが、本当に誰からも慕われていた御方であった。)



 『ドズルブレンド』と呼ばれていた閣下お気にいりのコーヒーのレシピは、コック長の胸に秘められたまま、閣下と一緒にソロモンの海に消えたのだろう。

 そう思うガトーの舌には、ただのカフェオレがなぜかほろ苦い。










 『・・・・ねぇ 心配しないで 僕には見える 戦後 初めての鳥が すぐ2羽になるわ 誰のせい? 悪く思わないで』





 (・・・この日々を甘受するなど、)

 決してできない。・・・・・・・・・それは許されない、のだ。



 怒りの後に残ったものは、哀しみでも悔しさでもなく、虚しさ、だった。・・・ガトーは、サイフォンに残ったコーヒーを、ブラックのまま飲み干した。










『世紀末の香り』愛と哀しみのボレロ











END










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