=-= 星の楽園 =-=



砌えみこ










 ニナ・パープルトンはシャトルの窓の向こうに輝く星々を見ていた。シャトルの定期飛行コースだけあって、先の一年戦争で生まれたゴミ…戦艦やモビルスーツの破片が少なく、きらめく星の美しさを堪能できるようになっている。

 しかし、ニナの瞳は宇宙空間に向けられていたが、心は必ずしもその美しさに酔ってはいなかった。それよりも、隣に座っているアナベル・ガトーの右腕が自分の左腕に触れており、そこから生じる感覚が気になっていた。
 彼の腕は、見た目から受ける印象の通り鍛え上げられた筋肉を持ち、雑誌をめくる度、がしっとした感触がニナに伝わってくる。そこからまるで熱を発して全身に広がっていくように感じられて、ニナはほんのりと火照った顔をガトーの方へ向けないようにしているのだった。

 (バカね…意識しすぎだわ。これくらいで、もう!)
 そう、いつもならデートの時に腕を組んだって、こんなに身体が熱くなることは無いだろう。しかし今はいつもとは違っていた。

 今夜、二人はとうとう結ばれるのだ…たぶん。


 ニナがガトーとつきあい始めてほぼ半年になるが、その間何度となくキスを交わしても、それ以上の行為はなかった。

 ニナにとって初めての恋人であったし、今日に至るまでが長いとか短いとかよくわからなかったが、女性向けの雑誌や友達の話によれば、ちょっと遅いような気がしていた。先の大戦の前後から、世の中には刹那的な恋愛を楽しむ風潮があった。死と隣り合わせの生活を体験したとなれば、それも当然かもしれない。
それに、ニナが勤めるアナハイム・エレクトロニクス社には同じ年頃の女性が多い。彼女たちもそれぞれの甘い生活を楽しんでいて、休憩時間ともなればいろんな話が飛び交っている。

 そんな中ではキスから先のプロセスに移行しないガトーに対して、大切にしてくれていると考えるよりも、自分はそういう対象になりえないのかしらとか、大人の女性として魅力がないのかもと思ったりしていた。
 ところが3週間前、二人で夕食を済ませたデートの帰り道、公園を散歩していると、突然ガトーから、
 「君の誕生日はSIDE6のレジャーコロニーにでも行って過ごそう」
 と言われたのだ。

 もちろん、日帰りで行けるような距離ではない。初めての泊まりがけの旅行になるし、それがどういう意味を持つのかニナにもわかった。
 「ええ…嬉しい」
 小さな声でニナが答えると、ガトーは安心させるように微かに笑みを浮かべて、そっと顔を寄せてきた。
 ニナが目を閉じると、彼の唇が押し当てられその舌が唇を割って入ってくる。舌が絡まり合う感触に頭がぼーっとして、ガトーの胸にもたれ掛かった。


 (あんなに激しいキスもあの時が初めてだったわ…)
 つい、その時のことを思い出してしまったニナはどきんっと心臓が脈打ち、ますます身体が熱くなるような気がして、何か別なことを考えようと意識をそらした。

 (アナハイムにメモリアル有給休暇制度が有って良かった)
 これは、アナハイム・エレクトロニクス社の社員にとても喜ばれている制度で、誕生日や結婚記念日などに休暇を取り易くしたものであり、独身や新婚の社員に特にもてはやされていた。

 ニナがこの制度を利用したのは今回が初めてだったが、そのせいで申請書を出す際、
 「あら、ニナ、誰か一緒に誕生日を祝ってくれる人ができたの?」
 「ねえねえ、どんな人?」
 と、同僚達に冷やかされたりからかわれたりした。週末と併せて9日間の休暇を取り、SIDE6の21バンチにあるレジャーコロニー"パラダイス21"で誕生日を迎えることになった。


 「どうした、ニナ」
 「えっ?」
 「そんなに外の風景が珍しいか」
 窓の方ばかりを見つめているニナにガトーは尋ねる。

 「そんなつもりは…」
 と言いかけて、振り向いたニナは後に続く言葉を飲み込んだ。自分を見るガトーの視線にまたもどきんっとしてしまったからだ。
 ニナが何を感じているのかわかったかのように、ガトーは右手をニナの左手の上に重ねてきた。

 「ニナ…早く君を抱きたい」
 耳元で囁かれたその声はあまりにも優しく、なぜだか切なそうな響きも感じさせた。
 「ガトー…」
 もう隠す必要も無いと思ったのか、ニナは甘い期待を全身で甘受するかのようにガトーの肩に身を寄せるのだった。


 "パラダイス21"はレジャー専用コロニーで、のスポーツ施設や文化芸能施設、最新流行を行く3D遊園地や各地域伝統の名跡のコピーなどが揃っており、ファミリーも若いカップルも、そして老人達までそれなりに楽しめるようになっている。
 いつの時代も商魂たくましい人はいるものだ。1年戦争後3ヶ月ほどで、営業を再開したコロニーである。もっとも、以前の3分の1の規模ではあったが、宇宙には難民があふれているというのにである。戦争が終わってしまえば、娯楽を求める気持ちが一般の人々にも確かにあったのだ。


 ガトーとニナは夕方空港に着くと、そのままホテルへ直行した。若いカップル向けに営業されている"カサ・デ・ベラ"という名のホテルで、小規模だが外装は地球の地中海風に明るく彩られ、部屋の内装も女性が喜びそうな凝った造りになっている。
 ロビーでは人目も気にせずいちゃついているカップルが何組かいた。そういうところも刺激になって恋人達に人気があるのかもしれない。

 二人がチェックインした部屋は寝室とちょっとしたリビングが付いているセミスイートといった感じの豪華な部屋だった。大理石風バスルームも二人で入ってもまだ余裕があるほど広い。テーブルの上にはフルーツバスケットが飾られ、『あなたたちのお越しを歓迎いたします・・・ベラ・ガルシア』といったカードが添えてあった。どうやら、ベラという人がオーナーらしい。
 女性と遊んでいる風が微塵も感じられないガトーが選んだにしては、なかなかロマンチックに演出されている。

 (どうやってこのホテルを選んだのかしら?)
 とニナは内心おかしかった。

 いったん部屋を出て、ホテルのレストランで夕食を済ませてから部屋に戻ってくる途中、ワインの酔いも手伝ってニナは身体がふわふわと浮いているようだった。
 (あぁ・・・いよいよだわ)
 期待と不安が入り交じった複雑な感情、人生で最初で最後の体験にニナの心は震えていた。


 「シャワーを私が先に使うよ」
 「えっ、ええ…」
 部屋に戻るとガトーは先にバスルームに入る。さすがにニナもいきなり一緒に入る勇気はない。
 見るとはなしにテレビをつけたり、替えの下着を用意していると、幾分時間が過ぎたのだろう、ガトーがシャワーを終えて出てきた。

 濡れ髪で白いバスローブを羽織り、少しのぞいた胸板には水滴がかかっている。男性としての圧倒的な存在感を漂わせるその姿に、ニナは慌てて目をそらしながら、バスルームへ走った。
 「すぐ、出るから」
 ようやくその一言だけ残してドアの向こうへ消えていくニナに、
 「ゆっくり、入っておいで」
 と笑いながらガトーは答えるのだった。

 シャワーの湯は心地よかった。熱いお湯を浴びて全身の火照りを忘れようとする。すぐ出ると言った言葉も忘れて、ニナは念入りに身体を洗った。月を出発する前の夜も、長風呂をして磨き上げたのだが、長時間シャトルに乗っていたし、初めて身体を男性に見せる恥ずかしさに、たっぷりとお湯を使わずにはいられなかった。

 「どうしよう…」
 どうしようもないのに、呟いてしまうし、ようやくシャワーを終えても、ニナはつまらないことで悩む。
 (バスローブの下は何も着ない方がいいのかしら、でも素裸なんてはしたない気もするし…)
 結局、旅行前に買っておいた純白の下着を着けた。派手な色使いではないが、レースをふんだんにつかったエレガントなものである。ニナが悩みに悩んで買ったデザイン。そのまま鏡を見ると下着のラインだけが強調された様に写る。
 恥ずかしさにさっとバスローブを着込んで、そこを出た。

 寝室へ戻ると、ガトーはダブルベッドの上に腰を下ろし、その目は何かを考えているかのように床を見つめていた。なぜかその表情が浮かないかの様に見えて、ゆっくりと近寄ったニナは、そのまま側へ行くのにも抵抗があり傍らのカウチに座ってしまった。

 「気もちよかった」
 「あんな、豪華なお風呂に入ったの初めて…」
 「お風呂の窓から夜景が見えるようにしてあるのね。外から見られている気がしてちょっと恥ずかしかった」
 ニナはおしゃべりが止められなかった。緊張しすぎて顔は笑おうにも笑えていない。

 「ニナ、おいで」
 苦笑いをこらえるようにガトーがつぶやく。だが、ニナはすぐには身体が動かなかった。すると、立ったのはガトーの方である。
 一歩二歩と歩いてニナに近づくと、覆い被さるように口づけた。そのままニナを抱きかかえるとベッドへと運ぶ。

 あんなにどきどきしていた心臓の鼓動が、彼が触れたとたん、にわかに静かになった気がした。本当なら更に速くなるかと思っていたのに、不思議と身体から力が抜けていく。
 (このまま、任せればいいんだわ)
 そんな安心感がニナを包み込み、ガトーの首に腕を回すとなんの気負いもなく全身をゆだねた。

 ガトーがそっと、部屋の明かりを消した。すると、天井に輝く星々が現れた。本物の星ではなく、プラネタリウムのように映し出されているのだ。
 「なんて、きれいなの…」
 ガトーはそれ故に、この部屋を用意したのだ。ニナの言葉に満足したかのように、銀髪を垂らした彼は気取りない顔を見せている。

 ニナには、この上もなく優しく愛するに足る男が自分の側にいるのだと思えた。
 そっとおろされたベットの上で、ニナは繊細な動きを見せるガトーの指先に翻弄されていった。















 「うぅーん」
 目を覚ましたニナが顔を上げると、そこにはガトーの笑顔があった。
 「あ、お早う…もう、起きていたの?」
 「早くもないがね」
 「えっ」
 確かに時計はすでに昼前を指している。全身の倦怠感が眠りをさそい、いつの間にかかなりの時間が経っていたようだ。

 「いつから見ていたの?」
 「朝から、ずっと」
 「えっ!」
 確かに、明け方もう一度愛し合ったのだが、その後眠らずにいたのかしらとニナがいぶかしむと、
 「うそだ、ついさっき起きた。さあ、そろそろ食事に行こう」
 とベットから出ようとする。お互い全裸のまま眠っていたが、ガトーはいったんローブを羽織ってバスルームに消えた。もうすべてを見てしまった後なのに、そんなところがガトーらしいとニナは思うのだった。


 残りの日々は夢のように過ぎていった。あちこち観光して、最新型のマシンが置いてある遊園地で遊んだりもした。もっとも、モビルスーツ乗りのガトーにしてみれば、大したこともないのだが、それなりにニナに合わせているようだった。
 夜になると、濃密な時間が二人を包む。ニナは喜びに身を踊らせた。彼に抱かれる度ごとに、自分の身体に新しい発見をするのだった。

 帰りのシャトルでニナはつぶやいた。
 「私、本当に幸せよ…」
 その言葉を聞いているはずのガトーは何も答えず、ただ優しい目をニナに向けていた。















 …あれから、4日ほど過ぎた夜、ガトーの身にある変化が訪れようとしていた。

 一枚の連絡用ディスク…まだ来るはずが無いと思っていたそれが、今日届いたのだ。
 敗戦の日から、ただ時の満ちるのを待っていた自分。待ち遠しかったはずなのに、
 「なぜ、今なのだ」
 と、彼らしくない言葉が口をついて出た。

 ジオン残党軍が新たな場を得ようとしている。ガトーが属する派も、一部集結を始めたのだ。ディスクは彼にも参加を求めるものだった。
 「こんなことなら、やはり抱くべきではなかった…」
 まだ自分が立つ時が来ないと気弱になっていたのではないと言い切れない。ただ素直にニナを求めたのだという気持ちもある。しかし今この時を迎えてみると、一抹の後悔だけが心に残る。

 明日はニナが夕食を作りに来ることになっている。あの休暇以来、初めて会うはずだった。今ニナの元を去れば、どれほど悲しむだろう。まるで身体だけが目当てだった男のように思われるかもしれない。
 (一言、ニナに…)
 電話を掛けようとキーを押しかけて、やめた。

 (もはやニナの側にはいられないのだ。ひどい男と思われた方がニナのため・・・ではある)

 一方的な思い込みかもしれない。しかし、彼にできる唯一のことだった。
 黙って去ることに決めたガトーはてきぱきと荷物をまとめた。元々、大したものがあるわけではない。持って行けない荷物は管理会社に廃棄処分を頼んだ。

 ただ、彼の真摯な生き方はこのままニナの元を去ることを許さなかった。アナハイムの社員寮までわざわざ足を運んだガトーは、ニナの住む部屋の窓の下で
 「ニナ…すまぬ」
 その一言をつぶやき、頭を下げた。だが、再び上げられたその顔に迷いの色はもう無い。彼の姿は夜の景色の中に足早に消えていった。


 「ふふっ」
 (いけない、また笑っちゃった)
 みんなの視線が突き刺さる中で、浮かれる気持ちを隠すことがどうしてもニナにはできなかった。あのパラダイス21での日々以来、久しぶりにガトーに会うのだ。といっても、ほんの5日ぶりだが何しろあれ以来初めてなのだから、
 (今日は金曜日だし、彼の家で夕食を一緒に取るってことは…そのまま泊まるってことよね。きゃっ)

 「ニナ、こっちの調子までくるっちゃうわよ」
 「そーよ、こっちにも少し幸せをわけなさ〜い」
回りの雑音をよそに、自分の仕事だけはきちんと片づけていく。

 定時に仕事を終えてマーケットに寄ると、色々と考えておいたメニューに必要な買い物を済ませた。
 (ほんとは、彼と一緒に買いたいのだけど…新婚さんみたいに見られるかしら)
 (でも、絶対女性とマーケットなんて来ないわよね)
 こんな想像ひとつで心が弾む。この時までが本当に幸せな時間だった。


 ようやく、ガトーの住むマンションに着いて、部屋の前に来るとインターホンを押した。

 「あら…」
 応答がない。何度か押して待ってみるが、やはり彼は出てこない。
 (時間を間違えたかしら…それとも、何か急な用事でも)
 そう思いながらドアに触れるとスライドして開いた。ロックがかかっていない。

 「ガトー…」
 声を掛けながらニナは部屋の中に入った。前に一度だけ来たことがある。そのときは彼の入れたコーヒーを飲んで、おしゃべりをした。しかし何だか雰囲気がちがう…

 ライトのスイッチを入れて部屋が明るくなるとニナは愕然とした。部屋には一切の荷物がないのだ。きれいに片づいて、がらーんとした部屋の中には彼の匂いさえ残ってないかのようだった。
 「ガトー!…ガトー!!」
 手からずり落ちてしまった買い物袋のことなど忘れて、彼の名を叫びながらリビングから寝室へと走った。どちらも同じに、ただ部屋の輪郭だけが目に入った。

 「ああ…」
 彼は行ってしまったのだ。

 元ジオン兵だと知っていた。モビルスーツに乗っていたことも知っていた。虐げられたスペースノイドが羽ばたく日を信じて疑わない彼の心も知っていた…はずだった。
 いつかはこういう日が来るかもと恐れながら、実際に来るとは思っていなかったのかもしれない。

 「なぜ」
 ニナは力無くつぶやくと、何もない部屋に泣きながらうずくまった。

 二人きりで過ごした至福の日々。夢のような出来事。目の前に広がった星の海。

 たった数日前にあんなに激しく愛し合った…その感触が一瞬ニナの全身によみがえり、なのに、もう正確には思い出せなくなっている自分に気づいて、さらに泣いた。

 その声を聞くものは、もういない。ただ空っぽの部屋の中に吸い込まれていくだけだ。

 今、我々だけが知っている。運命の歯車が彼女の知らない所で回り始めたことを、それは3年後まで静かに軋んで行くことを・・・










END










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