=-= 何処かで・・・ =-=
砌えみこ
思い出に浸るには、早すぎるだろうか・・・
彼は、絶対、生き延びているはず、と何度思ったことだろう。長い夜の合い間に。
情報部は未だに、彼の生死を不明としている。
捕虜になっている可能性だって、ないわけじゃない。
エースパイロットとしての彼の知名度を考えると、そう簡単に殺されたりしない、と思う。
でも、もしそうなら、連邦から渡された捕虜収監名簿に名前が載っているはずだし。
だとすると、死んでしまったと考える方が・・・・・・・・・
「ビィッシュ。」
一年戦争は、終わった。
宇宙世紀0080年1月1日、地球連邦政府とジオン共和国との間に終戦協定が結ばれた。
だが、夢を、理想を、勝利を、諦め切れない男達が、そして、それを支える女達がいた。
「摩耶大尉!今、通信班から緊急連絡が!!」
そう叫ぶエイドリアン中尉の顔は、まさに"緊急"を絵に描いたような表情をしていた。そんな顔を見てしまうと、努めて冷静に答えてしまうのが、エイドリアンの上官、小泉摩耶という女性だった。
「・・・少しは、落ち着きなさいよ、エイドリアン。緊急って?」
「これを聞いたら、摩耶大尉だって落ち着いていられませんよ。」
エイドリアン中尉は、いつも大げさに振る舞う癖があるけれど、こうまで言われてしまっては、さすがに気になる。
「もう、もったいぶらないで早く言って頂戴。」
「それが、カリフォルニアベースを脱出したユーコンがこちらに向かっているそうです!」
「へぇ・・・今ごろ、珍しいわね、エイドリアン。・・・だから?」
それが何?という風情で、摩耶大尉が言葉を返した。
一年戦争の終結から半年になろうというのに、ジオン公国の軍服をきちっと着込んだ女性が二人、窓が全く無い部屋の中で対峙している。
辺りには、大小様々な形のコンピュータが置かれ、同じように軍服を着た人々が立ち回っていた。
肩までまっすぐに伸びた黒髪が印象的な小泉摩耶大尉、いや正確には元ジオン軍大尉は、その部屋の一角で、机の上にうず高く積まれた書類と睨み合っている最中に、エイドリアン中尉・・・同じく元中尉だが、によって邪魔されたのだった。
「大尉!そんなのん気なことで、いいんですか?・・・実は、途中でオーストラリア大陸からの脱出組を、拾ったらしいんですよ!!」
「えっ?!」
エイドリアンは、驚く摩耶大尉の顔が見れて、心の内で密かに喜んだ。いつもは、やられっぱなしのこの上官に対する、ささやかな反撃をかました気分だったからだ。
「・・・それで、誰が乗っているのか、確認は取れたの?」
「いえ、まだ・・・。通信は、オーストラリアを出る際に発信されたもので、日付は一週間前です。詳細は不明ですが、2,3日中に南アフリカ近海に到着予定と・・・」
「そう・・・」
そのまま、何かを考える風に黙り込んでしまった摩耶大尉の表情は、エイドリアンには見慣れないものだった。
「カーティス大佐が、漁船にカモフラージュさせた偵察船を何隻か出させたそうです。」
摩耶大尉の表情は変わらない。冗談のひとつも言えない雰囲気に、いぶかしみつつもエイドリアン中尉は、その場を去ろうとした。
「エイドリアン、何かわかったら、すぐに知らせて。」
「は、はい。」
やはり、大尉は大尉だ。ぼうーっとしているようでも、肝心な点は忘れていない。
一人になった摩耶は、自分に与えられた僅かなスペースで、軍の備品には相応しい堅い椅子に座ったまま、思いを馳せた。
(もしかしたら、ヴィッシュが乗ってるかも・・・)
と。
ビィッシュ・ドナヒュー中尉。
元オーストラリア方面軍MS部隊隊長。『荒野の迅雷』の異名を持つエースパイロット。
だが、摩耶にとっての、彼は・・・
(ううん、いくらなんでも、希望的すぎる、か。)
生きていて欲しいと願う、会いたいと思う、ただの『ビィッシュ・ドナヒュー』。
宇宙世紀0080年6月、南アフリカのジオン軍秘密基地。
ここに集う者たちは、かつてオーストラリア大陸のジオン駐屯軍に属していた者がその大半を占めていた。ジオンの敗戦色が濃厚になった時、彼らはもちろん、宇宙への脱出を第一の道として考えたものの、すでに戦力を維持したまま地球の重力圏を抜けることは、不可能に近い状況だった。
その駐屯軍の責任者だったウォルター・カーティス元大佐の賢明な判断、と今は言っておこう、により彼らは第二の道を選んだ。
それは、アフリカへの道。
人が宇宙で暮らせるこの時代に、未開の地が残る灼熱の大陸、アフリカ。
連邦の統治が未だ完全ではないこの地に、残存兵力を率いて潜伏することに、彼らは希望を託した。
(ザビ家の時代は終わったかもしれないが、スペースノイドの時代が、必ず来るはずだ。いや、来させねば!)
(こうすれば、人も物資も何とか残せる。スペースノイドの希望を失わせたくない・・・)
(ここで、戦いを止めてしまったら、死んでいった者たちに、顔向けできん!!)
(所詮、俺は戦いの中でしか生きられない男だ・・・)
彼らの胸の内はそれぞれ異なっていたかもしれない。だが、まだ見ぬ新しい時代への渇望を抱いていたのは間違いないだろう。
大量の船舶や航空機に分乗して、オーストラリア・ブルーム地方の海岸からジオン兵が逃れたのは、1月2日の夜だった。もう、半年も前のことになる。
最も船足の遅い便でも、ここ南アフリカに着いたのは4ヶ月ほど前だ。生き残り組はこれで全てだろうと、誰もがあきらめかけていた。
・・・摩耶をのぞいては。
南アフリカ大陸。XXポイント。
生きている限り、どんな手段をとっても、必ずここに来いと、カーティス大佐が請うように命令した秘密の集合場所。
カリフォルニア・ベースの連中は知らないはずだが、それでもここに向かっているということは、士官クラスの将兵が一緒にいる可能性が高くなる。
「何が、荒野の迅雷よ。」
あの日、最後のオーストラリアからの偽装商船が到着した時、摩耶はカーティス大佐やエイドリアン中尉らと、岸壁で嬉々として待ち構えていた。
時間ギリギリまで脱出戦の指揮を執っていたユライア・ヒープ中佐と共に、そこに乗っているとばかり思っていた彼は、いなかった・・・
彼がいない、ということを考えたことがあったろうか。
気づいた時には、彼は、いたのだ。実際に、摩耶の傍にいるにしろ、通信回線の向こう側にしろ、とにかく彼の存在はいつも身近に感じていた。
どんなに実行不可能に思える任務であっても、彼の部下が全滅した時でさえも、彼は戻ってきた。
時には彼女自ら、危険な任務を頼むことすらあったのに、それでも彼が死ぬことを考えたことはなかった。
必ず、生きて帰ってきたから。
「別れた男のことを、あれこれ考えるなんて、らしくない・・・よね。ふうっ。」
溜息をつきながらも、摩耶の心は、あの頃に飛んでいた。
二人が、寸暇を惜しんで逢瀬を重ねていた、あの頃に。
彼を知った時、まだ『荒野の迅雷』とは呼ばれていなかった・・・・・・・・・
私は補給部隊本部付きの少尉で、彼はエースパイロットとして名を上げ始めたばかりのMS小隊を率いる隊長。
出会いは、サイアクだった。
たしか、アデレード基地の郊外で彼の小隊と連邦軍とが小競合いを交わしていた時、鉄道が一時的に連邦軍に占領され、基地からの補給線が途切れたことがあった。
意地の張り合いで撤退もままならず、持久戦が続いて物資に事欠いた彼が、喧嘩を売り込んできたのだ。
「小泉少尉、前線から補給の要請ですが、どうしても責任者と話したいと言ってます。」
「わがままねぇ。いいわ、変わって頂戴。」
ヴィッシュ・ドナヒュー少尉の勢いに困った通信官が、私に遣した一本の回線。
「貴様が、責任者か」
・・・初めて聞いた彼の声。
「そうよ、上官は出払ってるの。今は、私がアデレード基地では補給担当の最高責任者になるわね。小泉摩耶、少尉よ。」
「・・・自分は、ドナヒュー少尉だ。」
相手が女性だとわかったのだろう。少し高圧的な喋り方。・・・残念でした。補給部隊に長くいると、なだめたりすかしたり、あの手この手で補給物資をもぎ取ろうとする奴がいるんだから。脅されたって、不必要な物資は回さないし、無い物資はもっと回せない。
「補給物資をなぜよこせん!」
「前回の連邦軍の攻撃で、補給線が途切れたままなの。」
「しかし、ほんとうに手持ちの物資が!!」
「どの部隊も事情は一緒だわ。」
「弾薬が無ければ、撤退戦だって行えなんのだ!」
「それを何とかするのも、裁量ってものでしょ。」
私は、あくまで静かに答えた。こんなことは慣れっこだもの。でも彼はそうじゃなかった。もちろん、彼には彼の責任がある。部下を預かる身である以上、無責任、無鉄砲な行動などできない。
「・・・小泉少尉と言ったな。覚えておこう。」
とうとう彼の捨て台詞で、通信は終わった。なのに、先のことなんて本当にわからないものよね。
それから一週間も過ぎた頃、彼は、やってきた。私のところに。
ようやく補給線も確保しなおし、彼の部隊にも最優先で物資を送った。
けれども、無事アデレード基地に帰還した彼は、「どうしても一言、文句を言ってやる!」って意気込んでるのがありありとわかる顔つきで、突然本部に現れたのだ。
「小泉少尉というのは?」
その声に振り向いた私は、そこに立つ、MSのパイロット章を付けた少尉が、噂のエースだと一目でわかった。
右目に眼帯を付けたMS乗りはオーストラリア中探しても、彼一人だったから・・・
「少尉!こちらの方が・・・」
けれども彼の方は、近づく私を見てずいぶんと驚いた様子だった。
私の美しさを持ってすれば、トーゼンだけどね。
とにかく、もっと年嵩のたくましい女性を想像していたのだと後で聞いた。
・・・・・・・・・失礼な。
「コホン、えーっと・・・あなたが小泉少尉?」
「そうよ、ドナヒュー少尉。」
にっこり笑って、私は答えた。
「あ・・・。その、この間の件だが・・・」
彼はイロイロ言ってたけど、口で私に勝てるハズがないじゃない。
残念ながら、2度目の喧嘩も彼が負けた。
そしてその夜、たまたま酒保で会った私たちは、お酒で3度目の勝負を挑み、先に酔いつぶれたのは、彼の方だった。
だって私、"うわばみ"って呼ばれてるんだから、しょうがないでしょ。お酒に強いのは生まれつきなんだもの。
・・・そもそも、なんでお酒で勝負するハメになったのか、よく覚えてないけど。まあ、そういうものよね、人生なんて。
私が、重たい彼の体をエレカーに乗せ、彼の宿舎まで運び、そして・・・彼のベッドで一緒に寝た。
いったい、いつから酔いが覚めてたんだろう。
理屈なんかない。
ただ、ベッドに横たわる彼が、とても疲れているように見えて、私は思わず彼の頬に手を伸ばした。瞬間、彼の大きな手がその私の手を捉え、どちらからともなく顔を寄せ合って、キスを交わしていたのだ。
あとは、ドキドキする気持ちに従っただけ・・・
情熱的なキス。熱い唇。絡みつく舌。どれもイメージしてた彼とは違う。
「マ・・・ヤ・・・」
慣れない様子で私の名を呼び、慣れた手つきで私の服を脱がしていく。
筋肉の鎧に覆われた逞しい身体が私を押さえ込み、もうどこにも逃げられない。
その指先が這った部分が熱くて、早く欲しいと叫びたくなる。
でも、今でも一番忘れられないのは、彼の瞳。
敵をその視界に見る際には、鋭い光を放っているに違いないその目が、私をのぞき込んでいる。
それはそれは、とても優し気に・・・
その時、私は本当に、恋に落ちたのだ。
「・・・キレイだ。」
彼の囁きは優しかった。彼の唇も優しかった。彼の手も優しかった。後で知ったのだけど、画家になりたいって本気で思ってた頃もあるんだって。まったく、笑っちゃうなぁ。
あの巨大な金属の塊を易々と動すエースパイロットの指が、信じられないほど柔らかな感触で蠢いて、私を惑わせた・・・・・・・・・
「・・・けっこう、遊んでるのね。」
私の口がいらないことを言う。初めてのセックスの後の気だるい時間。
「・・・そういうことは、言うもんじゃない。」
眠たそうに、答える彼。
その瞳が私を見つめる。もっともっと見て欲しい。意を引きたくて、私は喋り続けた。
「だって・・・」
「そういえば、」
「でも・・・」
ああ、彼が私を見てくれている。
「おまえ、な・・・少しは静かにできんのか」
「お喋りなのは、よーくわかってるでしょ!」
「・・・・・・・・・黙らせないと、ダメだな」
そう言ってヴィッシュは、笑いながら私の口を塞いだ。もちろん彼の唇で。そしてそのままもう一度私を抱いた。
さらに激しく。疾風のように・・・
私たちは、許される限りの時間を共に過ごすようになった。前線に送られては戻ってくる彼を待ちわびる日々。
こっそりと回線に載せた、たわいない言葉。戦場で与えられる僅かな慰み。
ただ静かに、彼の腕に抱かれて朝までゆっくり眠ったことも、たった20分で獣のように愛し合ったこともあった。
3ヶ月近く続いた、蜜月の日々。でも・・・・・・・・・
ヴィッシュがアリソンと抱き合っているのを見たあの日、私は悲しかった。本当に悲しかった。でも、どうすればいいのかわからなくて。
確かに、彼から「愛してる」の言葉を聞いたことは、一度もなかった。初めて会ったその日に、寝てしまった私たち。
だからといって、ただの遊びのつもりなんて毛頭なかったのに。
「特別」だと思ってたのは、私だけだったの?単なる独り善がり?
彼に、そのことを聞くのは怖くて・・・私らしくないってわかってるけど。
彼が心変わりしたのなら、まだ許せたと思う。けれど、初めから真実がなかったとしたら、私・・・
結局は何も話さないまま、元の補給部隊の少尉とただのエースパイロット、細い回線を通じて、たまに喧嘩するだけの仲に戻ってしまった。
・・・その後、彼はその戦果で中尉に昇進し、私は上官が相次いで戦死したこともあって、鉄道大隊の大隊長に抜擢された。それに相応しいように、大尉の階級を与えられて。
彼が自分の愛機に"風神・雷神"の絵を描き、『荒野の迅雷』の異名を取るエースとして、連邦軍にさえ知られるようになったのは、それから間もなくのことだった。
私が彼の誕生日に、遊び心で贈った日本の『美術書』。確かその中には、風神・雷神絵図も・・・
「大尉。」
(あった、はずよね・・・)
「大尉!」
(捨てなかったのかな、あの本。)
「摩耶大尉!!」
「えっ?!」
びくっとして、摩耶が顔を上げると、そこにはエイドリアン中尉が立っていた。
「もう、脅かさないでよ。」
「・・・・・・大尉。」
思わず呆れた口調になる。もう何度も呼びかけた。気付かなかったのは大尉の方なのに。
・・・前言撤回。摩耶大尉にもこんな面があるんだ。
「それより、ユーコンと接触できたようですよ!」
「ほんと?エイドリアン??」
気が付けば、あれから数時間は過ぎたようだ。いけないなぁと思う摩耶。
「・・・ウソは言いません。」
「・・・わかってるわよ。それで?」
「明日、暗くなるのを待って、接岸可能な場所で上陸予定です。潜水艦ですから、ポイントはかなり限定されると思いますが、候補地の資料はこれです。」
「さすがね、エイドリアン。」
(・・・・・・・・・)
摩耶大尉に、「さすが」なんて言われると、雪でも降るんじゃないかと思ってしまう。ここはアフリカなのに。
・・・続けよう。
「それまでに、資材・人材等の運搬に必要な車両を準備して欲しいと。そちらの資料はこれになります。」
「そう。じゃあ、ユライア中佐の所へ行ってくるわ。」
渡されたばかりの資料を握りしめて、摩耶は上官の元へと急ぐ。
(忙しく、なりそう・・・)
それがよくわかっているエイドリアン中尉は、自分の席へ戻り、受け入れの下準備を始めた。
・・・4ヶ月前にも、こうして一隻の船を迎えた。あの時の光景とシンクロする夜。
違うのは、摩耶の心だ。あの時は、ヴィッシュ・ドナヒュー中尉を待っている楽しさが確かにあった。それと気付いてなかったとしても。
今は、彼ともう2度と会えないかもしれないという不安に包まれたまま、待つしかない。
もし、この艦に彼が乗っていなければ、死んでしまったのだと考えるべきなのか。その方がラクになれるかもしれない。
(彼が死んだ方がいいの?・・・ううん、そんなことない。やっぱり生きていて欲しい。彼に会えたら、私は・・・)
もう終わってしまったことかもしれない。けど、今度こそ本当に終わらせよう。
でもその前に、彼に愛してると言いたい。今さら、元に戻れなくてもかまわないから、ただそれを伝えたい。
あの時泣くことすらできなかった、バカな私を許してほしい。嫌われてもいいから、抱いてすがれば良かった・・・
「大尉。明かりが!」
「えっ?」
エイドリアン中尉に言われて、赤外線暗視装置付き双眼鏡を彼女が指差す方向へと向ける。大型車両数台をを率いて、補給部隊のメンバーである彼女らが、接触ポイントまでユーコンを迎えにきたのだ。
チカリ、チカリと光る明かりは、そのまま合図に変わる。
『君やこし我やゆきけむおもほえず
夢かうつつか寝てか覚めてか』
『かきくらす心の闇にまどひにき
夢うつつとは今宵定めよ』
・・・カリフォルニア・ベースの連中は趣味が悪いと思いながら、こちらからも合図だけは送る。
「摩耶大尉。いったいどういう意味なんですか?」
さっぱりわからないというカオでエイドリアンが訊く。
「日本の古い歌でね。・・・まあ、今日彼らに会えば、本物か偽物かわかるわでしょう、みたいな意味よ。」
「・・・それって偽物だったら、どうするんです。」
「もうじき、わかるでしょ!」
念のため、見張りに立たせている兵に辺りを確認させるが、特に変わった様子はない。今回も鼻薬をしっかり効かせておいたから大丈夫そうだ。
ユーコン級潜水艦が接岸するまでに、摩耶にとっては永遠とも思えるほどの時間が過ぎていく。
やがて、丸っこい船体のそれが、ゆっくりと近づいてきた。この中には何が詰まっているのだろう。
最後に、がくんと港全体を震わせて岸壁に着く。そのエンジン音が静かになる頃、こちら側から艀が架けられた。
(・・・・・・?!)
人影が見えた。
最初はまばらに、そして続々と降りて来る。
一人一人に目を向けるが、『荒野の迅雷』の顔は見つからない。
「小泉大尉、か?」
摩耶の階級章を確認してから、潜水艦乗りの制服を着た男が話しかけた。
「はい。あなたが・・・」
「元カリフォルニアベース所属。U−809副艦長、ジョージ・キッパードだ。」
「キッパード中佐。この度は・・・はっ?」
摩耶の言葉が突然、途切れる。怪しんだキッパード副艦長はその視線を追った。
兵士に背負われたまま、艦から出てくる者がいた。平らな所までたどり着くと、「すまんな」と呟いて背中から降り、左手に持った松葉杖で体を支える。どうやら左足を負傷しているらしい。
その男の顔には、眼帯がかかっている。右目を負傷したのだろうか?
「ヴィーッシュ!!!」
キッパードが思わずのけ反るほどの大声を上げて、摩耶が走り出した。
エイドリアン中尉も信じられないものを見た気がした。
取り乱した摩耶大尉が目の前をかけて行く。
その先にいるのは・・・
摩耶自身は何も考えていなかった。確かにこうして目の前に彼が現れるまでは、あれこれ考えてはいた。
でも本人を見つけた今、何が考えられるというのだろう。
「ヴィッシュ・・・」
飛びついた。まっすぐには立てない彼の体が揺らぐほどの勢いで。
「あああ・・・」
そうして、子供のように彼の胸で泣きじゃくった。あの日、別れの日に流せなかった分も。こうして彼に会えた喜びの分も。
逃げるでもなく、摩耶を抱くでもなく、押し返しもせず、迅雷はただ立ち尽くしていた。
摩耶も一瞬、自分がしてることに気付いたが、どうでも良くなる。
(生きていてくれた・・・)
その時、ヴィッシュ・ドナヒューはふっと眼を細めて笑った。
残念ながら、その顔は摩耶からは見えない。だが見えないところで、彼の手が動きだしていた。
松葉杖を放すと右足に力を込めて立ち、自由になった手を、摩耶の腰にゆっくりと回す。
ためらいがちに添えられた手に、だんだんと力を込めてゆき、やがて摩耶の体が折れそうなほどの力で、ぎゅーっと抱きしめた。
頭上から聞こえる、半年振りのヴィッシュの声は・・・
「・・・涙なんてらしくないぞ。」
「そんなの、わかってるわよ!・・・ヒック。」
反射的に、いつもの口調で答える。だが、顔を上げた瞬間、摩耶は動けなくなった。
今、目の前で、自分を見つめているヴィッシュの瞳は、あの日と同じに・・・初めて恋に落ちたあの日と変わらず、あまりにも優しかったからだ。
(こうして抱かれていてもいいの?)
心の内の声に答えるように、ヴィッシュの手が摩耶の黒髪をそっと撫でた。
何度も何度も。
愛しむように。
・・・パチパチパチ。
(?)
ふっと回りの音が耳に入ってくる。・・・拍手の音だ。なぜだろう。
気が付けば、二人を取り巻いて輪が出来ていた。拍手をリードしているのは、キッパード中佐のようだ。
「いいものを、見せてもらった。」
にっこり笑って、拍手を続けている。・・・どうやら、陽気なアメリカンだったらしい。
ヴィッシュは?と見てみれば、果てしなく照れたカオをしていた。
「・・・・・・・・・」
言いたいこともあった。訊きたいこともあった。でも、今は・・・
(ヴィッシュが私の傍にいる。こうして。)
今は、それだけで充分・・・・・・・・・
その夜、誰の心にも久しぶりに明るい炎が灯った。たとえ小さな炎だとしても。
END
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